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「出雲そば いいづか」(広島)【覆面調査 地方発グルメ】
広島市西区天満町に「出雲そば いいづか」がある。口コミによると高評価が多い。 実際に行ってみることにした。店は路面電車の通り沿いにあった。 昼12時前に入ったが、すでに満席に近い。カウンターは6席ある。テーブルは15人ほど座れるだろうか。木製のテーブルと椅子で古民家風の店内だ。歴史風情を… -
原爆に散った広島市長 粟屋仙吉の青春時代⑤〈被爆80年 人望編〉
(④〈卒業編〉よりつづく) 校長留任運動のリーダーとなった粟屋仙吉は、1912年(明治45年)3月に鳥取県立米子中学校を卒業した。中学校在学中は野球部に所属し、4番三塁手として活躍した。主将でもあった。中学校を卒業した仙吉は、東京の第一高等学校から東京帝国大学… -
【連載】風を越えて ~棒高跳び 坂口ジャスミン紫苑 世界への助走~ ②
アメリカに来て最初の2年間、私は「クラウド・カウンティー・コミュニティ・カレッジ(Cloud County Community College)」に通っていました。カンザス州にある短期大学です。 短大での1日は、例えば、こんな感じです。 午前5時50分、アラームの音を聞いて… -
原爆に散った広島市長 粟屋仙吉の青春時代④〈卒業編〉
広島に原爆が投下されたとき、広島市長は鳥取県出身の粟屋仙吉であった。仙吉が鳥取県立米子中学校(現在の米子東高校)の5年生だったとき、米子中学校を揺るがす大事件が起きた。1911年(明治44年)12月のことだ。生徒が… -
【連載】歯科医「太田秀人」 太宰府から口福(こうふく)を届けます② ~災害時の口腔ケアの方法~
私たち歯科医療関係者は、「直接死」の場面では、目の前の命を救うことはできません。 「直接死」は、災害時に崩れた家屋の下敷きになって死ぬような場合です。 でも、「関連死」については救うことが… -
原爆に散った広島市長 粟屋仙吉の青春時代 ③〈師弟愛編〉
元広島市長の粟屋仙吉は鳥取県の米子中学校(現在の米子東高校)を卒業している。 1911年(明治44年)12月、米子中学校の歴史に残る大事件が起こる。仙吉が最上級生となった5年生のときだ。米子中学校の校長だった -
「魚倉 広島店」(広島)【覆面調査 地方発グルメ】
広島市南区大州に「魚倉 広島店(うおくらひろしまてん)」がある。(以下 魚倉) 魚倉は「スパイラップガーデン大州」(旧 スパイラルガーデン大州)の中にある。「スパイラップガーデン大州」は、さまざまな店舗が入居する、3階建ての複合商業施設だ。飲食店のほかに… -
原爆に散った広島市長 粟屋仙吉の青春時代 ②〈部活動編〉
(〈学業編〉よりつづく) 広島に原爆が投下されたとき、広島市長は粟屋仙吉(あわや せんきち)だった。仙吉は青春時代を鳥取県の米子ですごしている。鳥取県立米子中学校に通った。学業成績が優秀で、運動にも秀でていた。野球部と柔道部を…
