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原爆に散った広島市長 粟屋仙吉の青春時代 ③〈師弟愛編〉

2025 7/30
日本
2025年7月30日
サン・レターズ・プレス編集
粟屋仙吉が住んでいたころの米子町=明治時代末期(写真左奥に見える小さな山のあたりが米子中学校)(写真の右奥に鉄道の線路があり、その右あたりに米子駅がある。粟屋仙吉の自宅は米子駅のすぐ近くにあったと思われる)【写真提供:鳥取県立公文書館】
粟屋仙吉が住んでいたころの鳥取県米子町(現在は米子市)=明治時代末期(写真左奥に見える小さな山のあたりが米子中学校)(写真の右奥に鉄道の線路があり、そのさらに右あたりに米子駅がある。粟屋仙吉の自宅は米子駅のすぐ近くにあったと思われる)【写真提供:鳥取県立公文書館】

(②〈部活動編〉より つづく)

元広島市長の粟屋仙吉(あわや・せんきち)は、鳥取県の米子中学校(現在の米子東高校)を卒業している。

1911年(明治44年)12月、米子中学校の歴史に残る大事件が起こる。仙吉が最上級生となった5年生のときだ。米子中学校の校長だった林重浩(はやし・しげひろ)が、鳥取中学校に転任することが決まった。鳥取中学校は現在の鳥取西高校である。

当時の鳥取中学校は、全国でも指折りの札付き学校だった。生徒が教員排斥などのため、授業をボイコットして年間30回ものストライキを行っていた。生徒が寺や神社に集結する。大挙して学校を襲撃する。校長を呼び出して、校長や教頭に辞職を迫る。明治44年の春にも大規模なストライキが行われて、数名が退学処分になっていた。

生徒間では暴力の連鎖が起きていた。上級生が下級生を1人ずつ呼び出して、殴る蹴るの暴行を加える。下級生は報復のために結束して上級生に殴り込みをかける、といった具合だ。

鳥取中学校は前任の校長が辞職することになり、廃校の危機にすらあった。鳥取県知事の岡喜七郎(おか・きしちろう)は、校長を変えて学校を存続させる決断をした。荒廃した鳥取中学校を立て直すために選ばれたのが林重浩だった。

林重浩 『會誌 第三十二號 四十周年記念號』より【画像提供:米子市立山陰歴史館】

林は当時41歳。36歳の若さで米子中学校の校長に就任していた。(就任時の校名は鳥取県立第二中学校)

生活指導は厳しく、生徒から恐れられた。その一方で情に厚く、愛された校長でもあった。成績や素行の悪い生徒を自宅に下宿させ、寝食(しんしょく)を共にして指導した。林の自宅に収容しきれなくなった生徒は、隣家の2階を借りて住まわせた。

下宿していた生徒の中にタバコを吸う者がいた。

「私もタバコをやめるから、お前もやめろ」

タバコが好きだった林は、生徒にタバコをやめさせるために自分も禁煙した。

ある時「歌かるた」で遊ぶために、林を慕う生徒が自宅に押しかけてきた。生徒の連合軍と林ひとりが対戦し、勝った生徒には褒美(ほうび)として赤貝飯を与えた。

林によって更生された生徒に野坂寛治(のさか・かんじ)がいる。粟屋仙吉の5期上で、後に米子市長となった人物だ。「悪童の誉(ほま)れ高き野坂」など、ありがたくない称号で中学時代の野坂を回想する同窓生もいる。

更生された生徒には、後に鳥取県議会議員になって、県政のためにつくした人物などが何人もいる。

林は立身出世主義の教育ではなく、芸術やスポーツを奨励した。あらゆる部活動に理解のある校長であった。音楽と数学の教師だったが、生徒と一緒に水に入り、水泳の模範を示すほどだった。野球部が試合で負けると、バックネット裏で涙を流したという。

仙吉が米子中学校に入学したとき、グラウンドと呼べるほどのものは無かった。でこぼこの起伏がある砂地が「運動場」だった。いたるところに海浜植物が生えている。この場所で実際に野球が行われていた。

砂地のため打者が打ったゴロは転がらず、すぐに止まってしまう。捕手から外野手の頭しか見えないほどの起伏がある。本塁から1塁に向かって高くなっていたため、30センチ走れば砂に足が埋もれて15センチは後退(あとずさ)りする。

モンゴルと中国にまたがる地域に、広大な砂漠「ゴビ砂漠」がある。生徒たちは、砂地の「運動場」のことを「ゴビの砂漠」と呼んだ。まともな「運動場」が欲しいと、生徒が強く要望するのは当然だった。

生徒の要望に応える形で、「運動場」造りが始まった。砂山を平均化して、その上から土を運んで「運動場」にする整地作業を行った。土を運ぶためのトロッコを準備したのは、鉄道に勤務していた仙吉の父であった。

放課後や体育の時間を利用して作業は行われた。風が吹くと砂が舞うため、一夜にして、それまでの作業が無駄になる。何度もやり直した。林は生徒と一緒に整地作業に励み「運動場」は完成した。

粟屋仙吉が在学したころの米子中学校(明治45年撮影)
粟屋仙吉が在学したころの米子中学校(明治45年撮影)【米子市立山陰歴史館所蔵】

明治44年11月28日、林が鳥取中学校へ転任するのではないかという「説」が報じられた。記者は、ほんとうに転任させるのか信じがたい、といったことを書いている。小さな新聞記事だったため、米子中学校の生徒が気づいたかどうかは定かではない。

林が転任する事実は、卒業生の野坂寛治によって米子中学校の生徒に知らされた。生徒と一緒に汗を流して運動場の整地をし、悪童たちですら慕う林校長が転任になるのだ。生徒たちへの衝撃は並大抵(なみたいてい)のものではなかった。生徒の耳に入ったときは動かしようのない決定事項となっていた。

全校生徒、約500人により、転任を撤回させるための運動が始まった。今の時代では想像もつかないような事態になっていく。この運動のリーダーとなったのが粟屋仙吉であった。

仙吉たちは林の転任を阻止することができるのか。(敬称略)

(④〈卒業編〉へつづく)

(注1)林重浩の年齢は「数え年」を使用しています。
(注2)林重浩は「はやし・しげひろ」と読む場合と「はやし・じゅうこう」と読む場合があります。当時の新聞では、どちらのルビも見られます。

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