
エレクトーン奏者「ほりピ」さんが4月25日、東京都内でライブを行った。ほりピさんは鳥取県を拠点に活動している。都内でライブを行うのは初めてだ。
ほりピさんは鳥取県米子市生まれ。これまで山陰を中心に活動してきた。宇宙戦艦ヤマトなどのアニメ主題歌のほか、ジャズも得意としている。今年4月からは、地元ラジオ局のエフエム山陰でパーソナリティも務めている。
ほりピさんがエレクトーンを始めたのは4歳の時だ。地元が大好きで、地元を活性化したいからと「将来は市役所で働きたい」と言う子供だった。
中学生の時は、エレクトーンの演奏に活かすため、吹奏楽部に所属してパーカッションを担当した。パーカッションはリズム感をつけるのに役立った。
高校卒業後は、大阪の音楽大学に進学した。この時は、コロナ禍の真っ最中だ。対面で教わることに意味があると思っていたが、リモート授業しか受けられない。コロナ禍は収束する気配がなく、退学を余儀なくされた。
鳥取に比べてコロナ禍の大阪は緊張感が、さらに大きい。外出も自由にできず、初めて都会で一人暮らしをするホリピさんには負担が大きすぎた。大阪に住む友人に会うこともできず、孤独感と緊張感で体調をくずしてしまったのだ。
エレクトーンを続ける意味が分からなくなった。まったく楽しくなくなり、音楽を聴くことすら嫌になった。一生弾かないつもりで、完全にエレクトーンを辞めた。大学を辞めようと思った時、思うようにエレクトーンを学べなかった自分に対して悔しさが残った。

半年後、エレクトーンを弾かない自分が徐々に受け入れられなくなっていく。
「また楽しく弾けるようになるまで頑張ろう」
そう思い、少しずつ再開していった。今辞めてしまったら、それまでずっとやってきた自分がかわいそうだ、という思いがあった。
ほりピさんは、鳥取県内の音楽専門学校に入学し直した。そこで運命の出会いをすることとなる。全国各地でエレクトーンの指導を行っている有名な先生だった。先生は飾り気がない人で話しがしやすかった。
親身になって話を聞いてくれる。固定観念にとらわれず、自分が予想していなかった答えを出してくれる。先生のおかげで、だんだん気持ちが前に向いていくようになった。
エレクトーンを再開した時は、人前で演奏することは全く頭になかった。逆に、絶対に人前で演奏したくないと考え、1人で楽しみたいと思っていた。
先生はそれを否定することもなく、ただずっと前向きな言葉をかけてくれた。レッスンに通い始めた頃は鍵盤を触るのも大変なくらいだったが、先生は根気強く支えてくれた。
「もっと外に出ていいんじゃない?」
先生の言葉で、徐々に自信がついていった。おかげで、また誰かに聴いてもらう演奏がしたいと思うようになった。
(後編へ つづく)
(※ 今回、ほりピさんがライブを行った場所は予約制のライブスポットです。予約をせずに利用することは、できません)
関連記事