
【山陰ゆかりの企業 全国版 ②】
大阪府吹田市に、青果販売を行う会社がある。「FARMAN・KITCHEN・MARKET(ファーマン・キッチン・マーケット)」だ。
2015年に、島根県浜田市出身の水津満共(すいづ みつたか)さんが創業した。島根県産の野菜や果物を豊富に扱っている。消費者への直接販売に加えて、飲食店にも青果を納品している。島根産の調味料も販売する。
水津さんは2025年4月から、地域おこし協力隊の制度を利用して、浜田市で米作りの修行を始めた。
月曜日から木曜日は、大阪の青果店をスタッフに任せて島根で農業を学んでいる。金曜日から日曜日は、大阪に帰って店舗の運営を行う。2拠点生活だ。
島根に滞在している間、青果の発注指示は午前3時に起床してリモートで行う。昼間は農業を学び、深夜や早朝に会社経営の仕事を行う。
大阪の青果店経営者が、なぜ農業を学ぶのか。



水津さんは島根県内の高校を卒業後、大阪で就職した。11年間アパレル関係の会社で働いていた。海外で売れているものを仕入れて、日本国内でブランドを育てる仕事だった。海外ブランドを育てるうちに、日本のブランドを一から作りたいと考えるようになった。
なにがよいか考えた時に、故郷の島根が頭に浮かんだ。
青果にたどり着いたのは、中学校の恩師が有機野菜の生産者になっていたからだ。恩師と会う中で、青果を生産する「農業」が島根の県民性に合っていると思った。
島根の人は地に足をつけて、自然と向き合いながら「もの作り」を丁寧に行っている。島根県の農産物は、大阪で販売しても他県産に引けを取らないと感じた。
水津さんは、休みの日を利用して野菜の移動販売を始めた。感触が良かったため脱サラを決意する。2015年10月、吹田市津雲台に1号店をオープンした。
2022年4月には2号店を開店したが、入居しているビルの老朽化から閉店を余儀なくされた。しかし2024年1月、吹田市千里丘北に3店舗目を開店して順調に営業を拡大している。
商品の大部分は島根の農家から直接仕入れている。大阪の中央卸売市場から仕入れる場合もあるが、島根産を買うつもりで探しに行っている。
島根の自治体やJAに紹介された産品を、市場流通に乗せてから仕入れることもある。まず、取引のある仲卸業者に仕入れてもらう。それを大阪の中央卸売市場で購入する。
市場流通から購入する場合、どこで島根産が買えるのかを調べて仕入れている。時期によっては7割が島根県産になることもある。
他の府県からしか仕入れることができない野菜もある。この場合、島根の農家に委託することで、新たな島根産品として契約栽培により作ってもらうこともある。

水津さんが米作りを学ぶのは、会社の中で「農業」を1つの事業として育てたいからだ。自社で生産した青果を大阪の店舗で販売する計画だ。今年の秋には、自ら収穫した米を大阪の店舗で販売する。
秋に収穫して精米の方法を学ぶと、米作りの期間は一旦終わる。1月と2月は島根県内にある別の農家で、葉野菜の作り方を学ぶ予定だ。
将来は島根県に社員を常駐させて、農業の生産にも関わらせることを構想している。いずれは島根に農業法人を設立したいと考える。軸足を農業に置き、島根の農業法人が大阪で販売する青果店をめざす。
現在「ファーマン・キッチン・マーケット」1号店では、サンドイッチや弁当も販売している。
サンドイッチやサラダは店内で自社製造している。弁当の製造は一時的に飲食店に外注しているが、もともと店内のキッチンで行っていた。再開の準備を進めている。
将来は弁当の米も自社で生産したものを使いたい。自社で作った玄米を使って、オリジナルの玄米味噌をつくる計画もある。
多くの青果小売店は、農家や市場から商品を仕入れて販売する形態をとる。自社ブランドの野菜を売るスーパーなども、ほとんどが契約農家に委託して栽培をしてもらっている。
青果を自ら生産し販売する。さらに加工食品の企画や製造も手がける。これらすべてを自社のみで一貫して行う青果店は少ない。まして、島根の食材にこだわってブランドを確立していくとなると、ほとんど例がない。
島根を出て大阪で起業した。里帰りして農業法人を設立。販売するところは大阪だ。地域と業種を横断した、総合的な食品企業へと夢が広がる。

