
「グラウンドゴルフ」は、1982年に鳥取県泊村(現在の湯梨浜町)で発祥した。スタートマットから木製のクラブでボールを打ち、ホールポストの輪に入るまでの打数を数える。できるだけ少ない打数でプレーすることをめざすスポーツだ。ゴルフのような規格化されたコースを必要としない。河川敷や公園など、さまざまな場所で行うことができる。ルールも簡単で、年齢や性別を問わず気軽に楽しめる。
2023年9月に「ヨーロッパ・グラウンド・ゴルフ協会」が設立された。これまで会長は不在だったが、日本人が初代会長に就任することが内定している。メンサヘーラ・パロミータさんだ。2025年11月に正式承認される。
パロミータさんは、スペイン在住の日本人だ。日本語のほかにイタリア語やスペイン語など複数の言語を話す。2013年から12年間、スペインでグラウンドゴルフの普及に励んでいる。「スペイン・グラウンド・ゴルフ協会」の会長としても活動してきた。
1970年に大阪で万国博覧会が開催された。当時、日本に住んでいたパロミータさんは通訳を務めた。1971年、イタリアへ移住した。万博で知り合ったイタリア人に「あなたのイタリア語は全然ダメだ」と言われたからだ。もっとしっかり勉強しなくてはならないと思った。
イタリアに移住した後、今度はスペイン在住の日本人に誘われてスペインに向かうこととなった。最初は、旅行のつもりだった。
スペインへの旅行がパロミータさんの運命を変える。到着してみると誘ってくれた日本人は、いなかった。祖母が危篤になり、急きょ日本に帰国していたのだ。パロミータさんは、ひとりスペインに取り残された。当時のスペインは、フランコによる独裁政権下にあった。
所持金が、それほどあるわけではない。困ったパロミータさんは、スペインにある日本の国際機関に相談をした。相談の結果、この国際機関でアルバイトをさせてもらえることになった。日本の機関ではあるが、職員にはスペイン人が多い。日本語もイタリア語も通じない。
スペイン語を身につけなくては仕事にならない。午前中は大学に通い、スペイン語を勉強することにした。仕事は午後から夜まで行った。仕事の関係でポルトガル、イギリスなどヨーロッパ各国に移住した後、結婚のためスペインに戻り定住した。

パロミータさんとグラウンドゴルフの出会いは、日本に一時帰国したときだった。用具の広告を見て興味を持った。「日本グラウンド・ゴルフ協会」の会長に詳しく聞いたところ、面白そうだと感じた。高齢者が外に出るきかっけを作るために、グラウンドゴルフが考案されたと知って共感した。
自分は、これまでスペインで家族と幸せな人生を送ってきた。スペインに何か恩返しをしたい。このスポーツをスペインに紹介して、外に出られない人たちに外出のきっかけを持ってもらいたい。スペインの高齢者にも笑顔になってもらいたいと考えた。
当時スペインでは、誰もグラウンドゴルフをやっていない。人々が見たこともないスポーツを、公園や河原で勝手に行うことはできなかった。サッカー場でやろうとしたが「芝生を傷つけられるのは困る」と言われた。
あるとき、マドリードの国際会議場でゴルフの見本市が開催されることになった。ゴルフ業界の見本市だったが、一角を借りてグラウンドゴルフを紹介することにした。ホールインワンをしたら赤ワインと生ハムをもらえるという企画を行った。スペインのゴルフ協会会長や、マドリードの州知事もやってきて「お祭り騒ぎ」となった。
学校の校長が、レクリエーションに使えると関心を持ったが、すぐには普及しなかった。用具が高価だったためだ。
用具はスペインで製造していなかったため、日本から輸入しなくてはならない。スタートマットやホールポストなどを何セットも用意しなくてはならない。日本では当時、クラブ以外の物も含めると1セット5万円ほどの価格だった。これがスペインでは3倍になる。用具本体の値段に加えて、高額の運賃や関税が上乗せされるからだ。
パロミータさんは、どのようにしてグラウンドゴルフをスペインに普及させていくのか。
(後編へつづく)
(※ メンサヘーラ・パロミータさんは日本人です。ご本人の希望により日本名は公開していません。スペインでの呼び名「パロミータ」を使って記事を作成しています。また、お顔も伏せて写真を掲載しています)
