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【連載】風を越えて ~棒高跳び 坂口ジャスミン紫苑 世界への助走~ ③

2025 9/12
全国/世界 鳥取(Tottori)
2025年9月12日
山陰プレス(ゲスト)
高校生の時の坂口ジャスミン紫苑さん(右)と、指導者の中原俊夫さん

〈中原先生への恩返し〉

私に棒高跳びを教えてくれたのは、中原俊夫(なかはら としお)さんという人です。

私が棒高跳びを始めたのは高校1年生の春でした。棒高跳びというスポーツも知らない全くの初心者でした。

中原先生はそんな私に跳び方や体の使い方、陸上への考え方、人間としての在(あ)り方などを教えてくださいました。今の私があるのは先生のおかげです。私にとって、なくてはならない存在です。

私は高校3年生の時に、第74回中国高校陸上競技対校選手権で優勝しました。このような結果を出せたのは、中原先生の熱心なご指導のおかげです。先生は雨の日も、猛暑の日も、毎日練習にお越しくださいます。雪が降っていても同じです。

特に覚えているのは、大晦日(おおみそか)の練習で、「明日も一応練習はある」と言われたことです。年が明けたお正月、外は一面の大雪でしたが、それでも私は迷わず練習に向かいました。大雪にもかかわらず中原先生も練習に来ておられ、集まった数名の部員と一緒に練習をすることができました。雪が積もっていたため、できることは限られていましたが、あの日の練習は私にとって素晴らしい一年の始まりとなりました。

中原先生は前日の練習や試合の跳躍(ちょうやく)映像を見返して、ひとりひとりに合った練習方法やアドバイスを考えて来られます。そして昔のやり方で満足せず、先生は常に勉強を重ね、より良い跳(と)び方を追求されています。いつも学び続けておられます。プロ選手の跳躍(ちょうやく)を何度も見返したり、繊細(せんさい)な動きをスローモーションで見たり、資料を集めるなどしておられます。

鳥取県で古い跳(と)び方しか教えられていなかった時代に、中原先生は、陸上の強豪と言われる関東の大学に手紙を送りました。進化していく技術の知識を、そうやって集めていかれたのです。ほとんど何もないに等しいところから、鳥取県の棒高跳びを作り上げていきました。おかげで、今では全国に羽ばたく棒高跳び選手が、毎年何人も先生のもとで生まれています。

坂口ジャスミン紫苑さんが高校生の時に練習していた場所(今でも日本に帰国すると、ここで練習をする)
坂口ジャスミン紫苑さんが高校生の時に練習していた場所(今でも日本に帰国すると、ここで練習をする)

私にとって先生は棒高跳びの達人のような存在です。それでも先生は常に知識を深めよう努力していて、選手たちのために、もっと良い跳び方を学び続けているのです。そのような姿を見て、「私ももっと成長したい」「頑張りたい」という気持ちになります。

中原先生は元々強い選手を集めているわけではありません。多くの選手は、私のように棒高跳び経験ゼロの状態から競技を始めます。中原先生は、その選手たちも高校数年間のうちに棒高跳びで活躍するアスリートに育て上げているのです。

私は中原先生のような尊敬できる指導者と一緒に練習ができることを、心からうれしく思っています。毎日練習していても、先生と一緒だと本当に楽しくて、「もっと強くなりたい」という気持ちが自然と溢(あふ)れてきます。気づけば夢中で、一生懸命に練習しています。

長年に渡り、人生をかけて棒高跳びの指導をやってこられた中原先生に感謝しています。いつか棒高跳びの結果で恩返ししたいです。日本一になり、私の跳躍(ちょうやく)を通して、中原先生の棒高跳びの能力と努力を、世の中の方々にお見せすることが夢です。まずは選手として、遠く離れたアメリカでも先生を思いながら練習に励んでいます。

先生の指導姿や毎日の努力を見てきて私も将来、先生のように、次の世代に夢と希望を与えられる存在になりたいです。
【棒高跳び選手 坂口ジャスミン紫苑】

○ 坂口ジャスミン紫苑 ○
鳥取県出身の棒高跳び選手。2021年6月の中国高校総体では大会新記録で優勝。2022年に出場した「日本選手権U20」では、自己ベストの記録で4位に入賞している。倉吉北高校卒業後はアメリカ・カンザス州にある短期大学「クラウド・カウンティ・コミュニティ・カレッジ」に進学。短大の全米大会で優勝し、ルイジアナ大学ラファイエット校にスカウトされて編入。現在(2025年)、アメリカで日本代表をめざす。ニュージーランド生まれ。

日本に帰国した時に練習をする坂口ジャスミン紫苑さん(後方で見守る青い服の人が中原俊夫さん)

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