
兵庫県美方郡新温泉町で、但馬杜氏の技術継承に励む人物がいる。岡本大地(おかもと だいち)さんだ。株式会社文太郎(以下 文太郎)で杜氏を務める。岡本さんは鳥取県の鳥取城北高校出身。
但馬杜氏は兵庫県の但馬地域を拠点とする、伝統ある杜氏の技能集団だ。越後杜氏・南部杜氏・丹波杜氏と並び、四大杜氏の1つに数えられる。
文太郎は2019年4月に設立された。岡本大地さんの父、岡本英樹さんが立ち上げた酒造会社だ。英樹さんは、かつて新温泉町の町長だった。
新温泉町では、数十年前に町内の酒造会社が廃業していた。但馬杜氏の古里でありながら、酒造会社が無い状態が長年に渡って続いていたのだ。
町長在任中から杜氏但馬の伝統を残そうと奔走していた英樹さんは、町長退任を機に会社を設立する。新温泉町内に酒造会社を復活させたのだった。
大地さんは高校卒業後、神戸市内で介護関係の仕事をしていた。英樹さんが酒造会社を設立するとき、息子の大地さんに声がかかる。新温泉町に帰って、酒造りを学べというのだ。大地さんが36歳の時だった。
杜氏になるには、まず見習いの「蔵人(くらびと)」として修行をしなくてはならない。大地さんの背中を押したのは恋人だった。現在の妻、友美子さんだ。
ふたりはピアノバーで知り合った。友美子さんは、バーでピアノの演奏をする仕事をしていた。酒を飲むのが好きだった大地さんは、バーに通い続けて交際に発展した。
新温泉町は、鳥取県との県境に位置する。同じ兵庫県内とはいえ、神戸と新温泉町で離れるとなると、これまでのように頻繁に会うことはできないかもしれない。
しかし大地さんには都会の神戸よりも、地方の暮らしが向いていると思う。そう考えた友美子さんは、新温泉町に帰って酒造りをすることを勧めたのだ。友美子さんの後押しで、大地さんは安心して帰ることができた。
離れても、友美子さんは大地さんを支え続けた。当時、友美子さんは運転免許を持っていなかった。神戸から文太郎までは、電車や高速バスを乗り継ぎ5時間近くかかる。友美子さんは休みを利用して新温泉町に通い、麹造りや米の運搬を手伝った。

2020年1月、2人は結婚した。時期を同じくして、日本国内で新型コロナウイルスの感染が確認された。結婚してすぐにコロナ禍が始まったのだ。取引先は飲食店が多い。注文は激減した。
文太郎で使う酒米は自社で作っている。前年に、製造量を見込んで酒米を作ったが使いきれない。設立して間もない会社に大打撃を与えた。
対策として、クラウドファンディングにより低アルコールの微発泡酒を開発した。多くの人から支援を受けた。「もふもふ」と命名して販売したところ、好評だった。
「もふもふ」は、大地さんが考案した独自の方法により造っている。同じ製法で造っている酒造会社は無い。アルコール度数を低めに抑えて、若い人や女性でも飲みやすくしてある。
2022年の秋に、大地さんは杜氏に昇格して独り立ちした。2023年には、コロナ禍が収束して、売り上げが徐々に回復していった。

酒造りは冬に行う。新温泉町は日本海側のため、冬の寒さは厳しい。寒い中、寝不足で毎日ほとんど仮眠しか取れない。朝も夜もない。やり直しがきかないため不安やプレッシャーが大地さんを襲う。それを乗り越えて造った酒は格別だ。最初に酒をしぼって出てきたときは、特別な感動がある。
米作りから行う酒造会社は、それほど多くはない。社長の英樹さんは町長に就任する前、専業農家だった。米作りのノウハウがある。杜氏の大地さんも、自ら田植えや稲刈りを行う。友美子さんは苗箱を洗う。
自分の造りたいと思っている酒に近づけるのが大地さんの目標だ。酒米の銘柄は、いろいろある。米そのものの味をいかした酒を造りたいという。
2025年7月20日、文太郎は鳥取市内でイベントを行う。大地さんは杜氏として来場者に酒の造り方を解説する。客は5種類の日本酒を飲み比べすることができる。
友美子さんは地元の演奏家と共演して、キーボード演奏によりイベントを盛り上げる。ここでも夫婦二人三脚で文太郎をPRだ。
結婚前は、核家族で都会のマンション暮らしだった友美子さん。環境に慣れるのに苦労した5年間だった。
結婚してすぐにコロナ禍が会社を襲った。冬の酒造りは過酷な日々だ。
それでも大地さんは結婚してからの5年間、苦労を感じたことが無い。酒造りとともに精神的にも助けてくれた妻がいたからだ。
「いつも助けてくれてありがとう」
照れくさそうに、何度も感謝を繰り返す大地さんの姿が印象的であった。


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