「ふるさと」で習得した技術により「家族のふるさと」へ貢献

中山真麻子さんが開発に貢献した「リンゴの剪定枝を使ったお香」

かつて島根県出雲市で暮らした女性が、出雲で習得した技術により岡山県真庭市へ貢献しようとしている。「香司(こうし)」の中山真麻子(なかやままあこ)さんだ。

「香司」とは、線香や香り袋などに使う「お香」を調合する調香師のことだ。薬草などの天然香料を調合して独自の香りを作り出す。

中山さんは大阪府生まれ。大学を卒業後、東京で4年間会社員として働いていた。2017年1月に出雲市へ移住。その後、結婚を機に2020年11月に岡山県真庭市へ引っ越した。4年近く出雲で暮らしていたことになる。

一旦東京で就職した中山さんは、地方で就職したいと考えて移住先を探していた。いくつかの県を訪れたが最終的に出雲に決める。ゆったりした感じや自然が多いところが気に入った。

移住して間もなく、アルバイトをしながら、お香の勉強を始める。出雲の土地柄に合うものは何か考えたところ、お香にたどり着いた。

出雲は神話が息づく地だ。中山さんは「出雲の人々は神仏への思いが強く、文化感度も高い」と感じている。お香は日本の伝統文化とも相性が良い。お香の文化も受け入れてもらいやすいのではないかと考えた。

当時、島根県には香司がいなかった。中山さんは島根で唯一の香司となる。

中山さんによると「出雲は程良く住みやすい」のだという。自分の土地に愛着を持つ人が多い。自分のことだけ考える人はあまりいない。皆が周りのことを常に気にかけている。

中山さんは、出雲で生きる力を身につけた。出雲に来るまで魚のさばき方を知らなかった。漬け物の作り方を知らなかった。野菜がどうやって育つかさえ知らなかった。全部、地域の人たちが教えてくれた。

出雲に来るまでの暮らしは「食べ物を作る」「採る」「物を手作りする」など、昔ながらの生きる力から離れたものだった。

都会の暮らしが長かった中山さんは出雲に来て、自然の恵みを受けて自然と共に生きる力を取り戻した。

出雲にいた時「お香教室」でお香を教える中山真麻子さん(中央の和服の女性が中山さん)

「出雲は第二のふるさと」と話す中山さん。

今年、夏の甲子園で島根県代表の大社高校が準々決勝へ進出した。日本全国に大社高校旋風が巻き起こった。

中山さんは大社高校の活躍を見てうれしくなった。大社高校の所在地は出雲大社から、ほど近い。出雲大社の近くに住んでいた中山さんにとっては、まさに「ふるさと」「地元」の代表だ。

岡山に引っ越しても気にかかる。大社高校をテレビやインターネット中継で連日、真剣に応援した。野球のことはあまり詳しくない中山さんにとって、このようなことは初めての経験だった。

出雲で暮らして価値観が大きく変わった。会社に勤めて給料をもらうのではなく、自分で仕事を作り出すことができるのだと思えた。

出雲は、自分自身を育ててくれた場所だ。

一方で、今暮らしている真庭市は、家族という単位で育ててもらっているという感覚が大きい。どこへ行っても子どもたちを大事にしてくれる。家族単位での行く末を見守って、力になってくれる人もいる。

中山さんは、家族を大事にしてくれる真庭に何か貢献できないかと考えて様々な取り組みを行っている。

2023年秋には、リンゴの「剪定枝(せんていし)」を使ったお香の開発に貢献する。地元の農家が栽培するリンゴの剪定枝を活用した。剪定枝とは、果物などを剪定するときに切り取られる枝のことだ。多くの場合、廃棄される。このお香のアイデアは、中山さんがお香づくりを教える地元の高校生が考えた。農家は廃棄してしまう物を何とか活用できないか考えていた。高校生のアイデアを知った農家が中山さんに商品づくりを相談した。中山さんは、高校生と農家の想いに役立ちたいと考えて力を尽くした。

今年の7月には、真庭市の「ふるさと納税返礼品」として「訶梨勒(かりろく)」を出品した。「訶梨勒」とは、お香を使った壁掛けの香り袋のことだ。万病に効くと言われる植物や12種類の伝統的な香原料を和布の袋に詰め、伝統的な飾り結びを施している。縁起物として、正月飾りや床の間飾りとしてよく使われる。

将来は、お香の発信や体験教室などを通して、国内外の人に真庭へ足を運んでもらえるようになると良い、と考えている。

出雲に移住していなかったら香司の仕事は、やっていない。

自分を育ててくれた出雲。家族を育ててくれる真庭。

中山さんの心には、いつも2つの「ふるさと」がある

「訶梨勒」(中山真麻子さんがふるさと納税返礼品として出品したものと同じ型)