鳥取県米子市出身でプロのバレエダンサー、井口陽花(いぐちはるか)さんが世界を舞台に活躍している。チェコ共和国の首都プラハにある「チェコ国立バレエ団」で主役を務める。2024年はイタリア・スペイン・オマーンなど世界各国で公演を行った。
バレエには古典的な「クラシックバレエ」と現代的な「コンテンポラリーバレエ」がある。チェコ国立バレエ団は2024年8月から2025年6月までの間「クラシックバレエ」では、6作品の公演を行う。井口さんは、このうち多くの作品で主役への抜擢が予定されている。
バレエダンサーには経験などに応じた階級がある。通常、主役を演じる最高位の階級は「プリンシパル」だ。準主役級のダンサーは「ソリスト」などと呼ばれる。主役や準主役でない踊り手は「コール・ド・バレエ」などの階級だ。
井口さんは階級としては現在「コール・ド・バレエ」の位置にいる。「コール・ド・バレエ」のダンサーが、これほど多く主役に抜擢されるのは、あまり例がない。
井口さんがバレエを始めたのは5歳の時だ。バレエ教室に通っていた姉の影響を受けた。人から注目されるのが好きだった井口さん。好奇心旺盛でよく喋り、少し手のかかる子供だった。
プロになりたいと思ったのは、小学校4年生の時だ。ロシアのバレエダンサー「ディアナ・ヴィシニョーワ」を見たことがきかっけだった。ヴィシニョーワが女優のように『カルメン』を演じ切っている姿に感動した井口さんは、本場であるロシアでプロになる夢を抱いた。
中学卒業後は鳥取県内の高校に進学する。夢を実現するため、1年生の9月に単身でロシアへ留学する決意をした。ずっとプロになる夢を抱いていた井口さんに迷いは無かった。
最初の1年間は、モスクワから1時間程度の場所にある「ペルミバレエ学校」で基礎を学んだ。その後、世界最高峰のバレエ学校「ワガノワ・バレエ・アカデミー」に入学した。憧れのヴィシニョーワも学んだ学校だ。
バレエ学校に通う日々は辛いものだった。ロシア語どころか英語も話すことができない。日本語が通じるはずもなく、「ロシア語」そのもので「ロシア語」の授業を受けた。夜は、バレエの練習で疲れた体にムチ打って、通信教育で日本の高校の勉強も続けた。
規則が厳しいバレエ学校だったため、夕食は午後6時までに終わらせなくてはならない。バレエの練習が長引き、午後6時までに食堂に行ける日は限られた。食堂が閉まっていて夕食が食べられないため、自炊を行わなくてはならない。
昼間はバレエの練習と語学の勉強、夜は自炊と日本の通信教育で、就寝するのは毎日深夜だ。
家族や日本が恋しくなり、厳しい日々で帰りたくなった時もある。アジア人差別を受けたこともある。優しい親日家たちに支えられ、なんとか乗り越えることができた。辛い日々を耐え抜き、プロとしてデビューしたのは2019年秋のことだった。
夢が叶っていくかに見えた2022年。
戦争が夢を打ち砕く。
ロシアがウクライナに侵攻を開始したのだ。
戦争開始直後、井口さんの葛藤が続く。ロシアでは戦争について正しい情報が入ってこない。危機感をあまり持てない。バレエ団を辞める必要があるのか自分で判断するしかなかった。
日本に住んでいる人から、たくさんの連絡が入った。日本から知らされるニュースはロシアでの報道とは、まったく違う内容だ。ショックを受けて退団を決意した。
芸術監督の前で泣きながら退団届を書いた。
最後の舞台でお辞儀をする。「もうこんな大きな舞台で踊ることはできないかもしれない」と頭をよぎった。
自ら夢を手放すことに恐怖を感じた。大好きなロシアバレエから離れることに絶望を感じた。これが最後の大きな拍手かもしれない。
後悔するかもしれないという恐怖に打ちのめされた。
日本に帰国した井口さんは、家族に会えたことで張り詰めていた緊張の糸が切れた。しばらく穏やかな日常を過ごすこととなる。ロシアのニュースを見て、この時代に戦争が起きていることに驚き、自分が生きていることに感謝した。
そこで、ようやく今後を深く考える余裕ができた。自分の未来にバレエダンサーではない姿は一切なく、絶対に夢を諦めない気持ちで前を向いた。
次はヨーロッパに挑戦だ。
1年間オーディション活動をし、各国のバレエ団を受けて最終的に合格したのがチェコ国立バレエ団だった。2023年2月のことだ。8月から本格的に活動を再開した。
ロシアとヨーロッパでは踊り方の様式が異なる。ロシアではクラシックバレエしかやってこなかったため、コンテンポラリーバレエへの戸惑いがある。ヨーロッパで学んできたダンサーたちは皆、簡単そうにやってのける。自分には理解できず、格闘する日々が続いた。
しかし井口さんは、世界最高峰の学校でバレエを学んでいたおかげで基礎ができていた。異例の速さで主役への抜擢が続いた。
今年、大飛躍を遂げた井口さんは今後、最高位の「プリンシパル」を目指していくことになる。しかしプリンシパルになれたら、それで終わりではない。自分にしかできない表現で、唯一無二のダンサーになるのが次の夢だ。
井口さんは日本を離れて今年で10年目となる。
「10年間の経験や、ご縁がひとつでも欠けたら、今こうして恵まれた環境にいることはないです」と話す井口さん。いつも周りの人に恵まれ、ロシアでの辛い経験も成長する機会だったと考える。
国や人間関係、踊る役が変わっても永遠にバレエダンサーとして満足することはない。夢にゴールがないため、毎年苦悩は増す一方だ。夢を追いかけている限り、どんどん理想は高くなる。それに追いつけない自分に対して、どうにもならない怒りや焦りが湧いてくる。
「常に感謝の気持ちを持ち、人間としてもダンサーとしても成長していきたい」と初心を忘れずに、ここまで来た。
毎年クリスマスの季節になると、世界各地で「くるみ割り人形」のバレエ公演が行われる。「白鳥の湖」などと並ぶ、世界三大バレエのひとつだ。
この時期の恒例として、チェコ国立バレエ団では3ヶ月前からチケットが完売になる。1年の最後を締めくくる、年越しの一大イベントだ。
チェコ国立バレエ団は、チェコ時間の2024年12月25日「くるみ割り人形」の公演を行う。
その日、井口さんは主役の「クララ」として、晴れの舞台に立つ。