
〈師匠は東京事変のドラマー、刄田綴色さん〉
(前編より つづく)
奈良県出身のモリモト・ハヤトさんは、脳科学者になるという夢を追って、鳥取大学医学部生命科学科へ進学した。一方、高校時代から軽音楽部に所属して、音楽にも熱中していた。
ベースという楽器に真剣に取り組む中で、いつしか音楽への想いが脳科学者へのそれを上回っていった。大学在学中にプロのミュージシャンとして活動を始めた。
プロをめざす過程で大きな存在になったのが、刄田綴色(はた・としき)さんだ。刄田さんは、東京事変のドラマーとして知られる。
RADWIMPS(ラッドウィンプス)などのサポートドラマーとしても活躍した。NHK紅白歌合戦に、紅組と白組の両方で出場する、という偉業を成し遂げている。
モリモトさんが刄田さんと知り合ったのは、モリモトさんが大学生のときだ。あるとき学生と刄田さんの共演イベントを、ライブハウスが企画した。
プロになりたいと決心していたモリモトさんは、出演の話しを聞くと、すぐに参加を決めた。楽器が異なるにもかかわらず、刄田さんは演奏について丁寧にアドバイスしてくれた。
モリモトさんがプロを志していることを知ると、刄田さんは自身のスタジオにも招いてくれた。そして、さまざまなことを教えてくれたのだ。
技術だけではなく、ステージ上での見せ方などもモリモトさんは学んだ。演奏力だけでは足りない、人の心を動かす演奏をしなければならないことを、アマチュアのころに突きつけられた。
やさしい言葉だけでなく、ときには厳しい指摘も受けた。
それでも刄田さんは、自分を育ててくれた大恩人だ。「万里の長城」のような、乗り越えるべき高い壁だとモリモトさんはいう。
モリモトさんにとって音楽の道は、順調なことばかりではない。大学3年生のころ、レベルの高いセッションに参加した際、自分の実力が通用しない現実を目の当たりにした。
セッションではごまかしがきかず、その場で自分の実力があらわになる。プロを志し始めた直後だっただけに、挫折感は大きかった。心が折れ、1カ月にわたってベースを弾けなくなった。音楽を聴くことすらできなくなった。
コンビニエンスストアに入ると、なにかしら音楽が流れている。音楽を聴くのが怖くて、店内に入れなくなるほどの重症だった。
それでも音楽への想いは変わらなかった。苦しい経験を経て、モリモトさんは再びベースに向き合った。
音楽をやるなら絶対に東京へ行ったほうがいい、と仲間たちは口をそろえた。
大学卒業後は山陰地方で1年間の修行を積み、2026年5月に東京へ活動拠点を移した。そこで待っていたのは、厳しさと新たな可能性だった。
全国各地から、本気で音楽に取り組む人たちが集まるのが東京だ。卒業後の1年間で成長を実感していたが、モリモトさんはレベルの高さを痛感した。
2026年8月3日、東京での初ライブに出演した。約2カ月ぶりのステージだ。感覚が鈍っていないか不安もあったが、いざ演奏が始まると楽しさがあふれた。
「ずっとにこにこしながら弾いていたと思います。東京だからといって特別に緊張することもありませんでした。場所に関係なく、演奏の中身は変わらない。やるべきことをやるだけです」
遅くとも3年以内に、継続的に仕事を得られるミュージシャンになることを目標に掲げる。
欲を言えば、自分のソロプロジェクトを立ち上げたい。自分で曲を書いて、世に出していきたい想いもある。
2026年8月27日には、兵庫県姫路市内で開かれるイベントに出演した。ステージを共にしたのは、“師匠”の刄田綴色さんだ。
かつて脳科学者をめざした医学部生は、いまベースを手に、プロのミュージシャンという新たな夢を歩んでいる。
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