東日本大震災をきっかけに「何のために歌うのか」と、途方に暮れたhactoさん。そんな彼を救ってくれたのは、通い続けることで生まれた福島の人たちとのつながりだった。
福島では家族や友人を亡くした人、そして原発事故により故郷を失った人もいる。
家族がいること、友人がいること、故郷があることは当たり前ではない。そんな実感がありありと迫ってくる。
「自分自身、家族を大切にしてこなかった」と振り返るhactoさん。そのこともまた自分の中で違和感として積もっていた。帰りたいのに帰れない故郷。そんな想いを打ち破ったのが、震災であり、被災地での出会いだった。帰れるうちに帰らなくてはいけない。
それから頻繁に地元に帰るようになり、シンガーとして地元に恩返しをしたいという想いを持っていた2013年、相馬市で偶然出会ったのが島根県江津市の桜江小学校の教頭先生だった。
当時、相馬市では「お花いっぱいプロジェクト」として花の種を集めるプロジェクトを主催している団体があった。その教頭先生はプロジェクトに賛同し、相馬市を訪れたところだった。
ともに山陰の人間ということで意気投合した2人。教頭先生の提案で、児童が被災地へのメッセージを歌詞にしてhactoさんが曲をつけることとなった。
こうして完成したのが今も江津市で歌い継がれている「幸せ色した花々」という曲だ。
歌詞には「お花いっぱいプロジェクト」において花の種を集めるのに地域の人が協力してくれた際の喜びが込められているという。
このプロジェクトを通して、江津市と相馬市、そして鳥取市出身のhactoさんにつながりが生まれた。
いまでは「お花いっぱいプロジェクト」を主催した団体もなくなってしまったが、hactoさんが運び手となって島根から福島に花の種を届ける活動は続いている。
昨年2023年に初めて小学校に提供することが実現し、島根の小学校から、福島の小学校へと花の種が届けられた。震災12年目にしての新たな展開で、これからさらに拡大させていきたいと意気込む。
震災から時がたち関心は薄れていくが、小学生にとっては東日本大震災と福島第一原発事故が「生まれる前の話」になる今こそ、改めて語り継ぐことの重要性を感じている。
今年の3月11日は江津市桜江町の長玄寺でライブを行う。
地震が起きた14時46分に合わせて黙とうを行い、投げ銭と一緒に被災地に届けるお花の種も募る。
桜江は水害が多い地域で、災害への意識も共感も高い。しかし幸いというべきか、山陰全体では必ずしもそうではない。
それでも、「家族がいることや故郷があることは当たり前じゃない」というメッセージは広く伝わると信じている。
何よりもそのメッセージによって救われたのは、故郷を離れ歌うべき歌も見失っていたhactoさん自身でもあるのだ。
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