
(前編より つづく)
女子の高校野球では、全国大会の決勝戦だけが甲子園球場で行われる。3年生最後の夏、優勝候補だった神戸弘陵学園は、全国大会の準々決勝まで勝ち進んだ。チーム内に新型コロナウイルスの感染者が出たことで、準々決勝の当日に出場辞退を余儀なくされた。
鳥取県出身の坂根凜(さかね・りん)さんは、甲子園の土を踏むことなく野球人生にピリオドを打った。
出場辞退の報告を聞いたとき、3年間やってきたことが水の泡だと思った。甲子園で開催された他校同士の決勝は、悔しさで見ることができなかった。
3年後の2025年9月、坂根さんはフロリダ・アトランティック大学にいた。アメリカのフロリダ州にある大学だ。新たな夢を航空会社のCA(客室乗務員)に定めて、勉学に励んでいたのだ。

坂根さんは中学生のころから英語が好きだった。英語を活かせる職業の中で、人に笑顔を直接届けることができるCAに魅力を感じた。
以来「CAになるにはどうすればいいか」が、あらゆる意思決定の基準となった。
日本で進学先を決めるときは、CAの合格率が高い学校を調べて関西の外国語大学に決めた。学部や学科を決めるときも、CAになるのに役立つ勉強ができるところを選んだ。
甲子園をめざす選手たちは、3年間のすべてをかけて最後の夏に挑む。出場辞退から立ち直り、坂根さんが大学受験に向けて本格的に勉強を始めたのは高校3年の9月だった。
英語が好きだったとはいえ、ほとんどゼロからのスタートだ。受験まで毎日塾に通い、夜遅くまで勉強した。大学の講義で使う学問的な英語を、短期間で読めるようになって志望校に合格した。
受験勉強で英語を「読む」力は向上していたが、「話す」レベルは簡単なコミュニケーションが取れるていどだった。日本の大学に入ってすぐ、空港の免税店でアルバイトを始めた。
免税店の客は9割が外国人だった。ていねいな接客英語が学べると思って応募した。パイロットやCAも来店する。自分自身のモチベーション維持のためでもあった。CAの夢につながると思い、電車で往復3時間かけて関西国際空港まで通った。
免税店の後もCAになるために、レストランや居酒屋で接客のアルバイトをやった。
レストランはワインを扱う店だった。実際にワインを注いだり、コース料理を出したりする。CAになったとき、ファーストクラスで料理の提供に役立つと考えた。
レストランでアルバイトを始めるまで、ワインや酒の銘柄を知らなかった。客に説明できるように最初から勉強した。外国産のワインも多かったため、外資系の航空会社で提供するものになるだろう。
コース料理は最初から最後まで1人で提供する形だった。客の様子をしっかりと観察し、次の料理を出すタイミングを考えて厨房に促す。言われなくても気がつく心配りを身につけた。
居酒屋では、常に効率のよさを求められる。頭を使い、効率よく仕事をこなすことがCAの仕事につながると考えた。

いま日本の大学に在籍したまま、交換留学の制度を活用してフロリダ・アトランティック大学に来ている。ここでは「ホスピタリティ」や「ツーリズム」を学ぶ。
ホスピタリティは、人を思いやる気持ちを、専門知識と行動に変える力を育てる学問だ。接客業など、人を迎える仕事に役立つ。
ツーリズムでは「観光」という人間活動を総合的に研究する。旅行者の文化的背景や価値観、行動パターンなども研究対象となる。国籍や宗教の異なる乗客と接するのに、おおいに役立つ。
高校生のときから、快適な場所だけに留まることはしなかった。新しく学ぶことがあるところに身を置くことを心がけてきた。
坂根さんは強い決意を語る。
「CA以外の職種は考えていません。合格するまでやめません」
高校生のとき、女子野球の最強チームにいた。毎年のように全国制覇の期待がかかる。プロ選手を何人も送り出す学校だ。3年生になるまで坂根さんはベンチ入りすらできなかった。
投げやりになることなく、夢に向かって突き進んだ。つらい練習に耐えて這い上がり、ようやく試合に出られるようになった最後の夏に「出場辞退」という、さらなる試練が課された。
「高校野球をやっていなければ今の自分はない」と坂根さんはいう。「根性だけは誰にも負けない」と強みを話す。
出場辞退となっても、3年間野球を続けたことに誇りを持てた。甲子園の土を踏めなかったことで、坂根さんは夢を絶たれたのではない。新たな夢をかなえるために、困難を乗り越える力を身につけたのだ。

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