
(前編より つづく)
コロナ禍で体調をくずし、音楽大学を退学すると同時にエレクトーンをやめた「ほりピ」さん。音楽専門学校に入り直し、運命の指導者と出会うこととなる。
先生の親身な指導のおかげで、少しずつエレクトーンへの情熱を取り戻していった。鍵盤に触ることすらできない状況から、今では毎週イベントに出演するまでになった。
東京でライブをやろうと思ったのは、SNSのフォロワーに関東の人が多かったからだ。「関東に来て!」と、言いわれることが多かった。東京は1番ハードルが高く、憧れもある。挑戦しないままだと後悔する。周りの期待に応えたかった。
ほりピさんは、東京で暮らしたことが無い。これまで主催者が用意した会場ばかりで演奏してきた。自分でライブ会場を探すのは初めてだ。東京ではエレクトーンを演奏できそうな場所が限られている。最初は、駅前や公園などを探した。
エレクトーンは、スピーカーを通さないと音が出ない楽器だ。このような楽器は騒音になりやすい。法令違反や迷惑行為になる可能性があるため、難しかった。
次にライブハウスを探した。ライブハウスは、弾き語りやバンドの演奏を中心に場所を貸すところがほとんどだ。個人でエレクトーンを持ち込んで演奏できる場所が見つからない。あてにしていた場所も閉店していた。
東京で音楽活動をしている知人に相談すると、無料で演奏できる予約制のライブスポットがあることを教えてくれた。
予約制のため当日、飛び込みで行っても演奏はできない。ライブ開催7日前の午前0時にならないと予約ができない会場だ。人気のスポットで、毎回すぐに予約が埋まる。
どうしても東京でライブをやりたい。
ほりピさんは、予約開始前からスマートフォンの前に待機した。午前0時になると同時に予約を行い、1番目の枠が取れた。その直後に確認したところ、一瞬で全部の時間枠が埋まっていた。
1週間後のライブ当日、演奏開始時刻が迫る。
会場は屋外で、今にも雨が降り出しそうな空模様だ。ほかのミュージシャンも順番に演奏するため、ほりピさんが使える時間は1時間と限られている。機材の搬入と演奏、片付けの全部を含めて1時間だ。
不慣れな東京では、機材の運び込みも困難であった。午後5時39分、開始予定時刻を40分近くすぎて機材の設置が終わる。残り時間は20分しかない。会場まで730キロ離れた鳥取から演奏しに来た。観客は初めて会う人ばかりで、不安や緊張がピークに達する。
「ここまで来たら腹をくくって、やれることをやるしかない」
すべてが吹っ切れた瞬間だった。
3曲演奏して、あっという間にライブは終了した。
観客が、ほりピさんの演奏をSNSに公開した。再生回数は、みるみるうちに増え1日で27万回を超えた。その後も増え続けている。山陰で活動していたときは、経験したことのない早さだ。コメント欄は「素晴らしい」「鳥肌もの」「生で聴いたら涙が出る」などの賞賛であふれていた。

今回の挑戦は初めてのことが多く、準備の段階から大変なことばかりだった。やり切れた今、自分の中で大きな目標を1つ達成できたという自信につながった。
小さい頃から、エレクトーンの楽しさを1人でも多くの人に伝えるのが夢だった。大学に進学する時は将来、音楽の教員になるつもりでいた。コロナ禍で大学をやめたことで教員への道は断たれた。一生、エレクトーンを弾かないとまで心に決めていた。
音楽専門学校に入り直したことで運命の指導者に出会い、演奏家への道を進むこととなった。コロナ禍で辛い経験をしたことで、新たな人生が開けたのだ。
「これからは、今まで誰も試したことのない新しいエレクトーンの可能性を見つけていきたい」と話す、ほりピさん。
東京に挑戦したことで、夢へ大きく近づいたに違いない。

(※ 今回、ほりピさんがライブを行った場所は予約制のライブスポットです。予約をせずに利用することは、できません)
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