永平寺で修行の僧侶 地域のために「山」を新名所へ開発

黒坂要害山=2024年12月
黒坂要害山=2024年12月

曹洞宗の総本山「永平寺」で修行をした僧侶が、鳥取県日野町へ貢献するため、新名所の開発計画を進めている。同町にある泉龍寺(せんりゅうじ)の副住職、三島秀典(みしましゅうてん)さんだ。

泉龍寺の近くにある黒坂要害山(くろさかようがいさん)を日野町の新名所とするため、仕事の合間に開発作業を続ける。黒坂要害山はJR伯備線黒坂駅の北側に位置する標高約320メートルの山だ。山道入口は泉龍寺から徒歩で3分程度の場所にある。

「寺」そのものを観光名所とする取り組みは珍しくはない。しかし、近隣にある「山」を観光名所として開発するために僧侶が奮闘することは、あまり例がない。

三島さんは泉龍寺の跡継ぎとして同町で生まれた。鳥取県内の高校を卒業後、県外の大学へ進学する。大学卒業後は家業を継ぐために、永平寺へ修行に入った。人気ロックバンド「Official髭男dism」のボーカル、藤原聡さんとは高校で同級生だったという。

修行を終えた三島さんは2022年5月に、日野町へ帰郷する。帰郷後「日野町にはこれといった見どころが無い」という住民たちの声を耳にした。そんな時、黒坂要害山の山頂へ登る道に目をやると、雑草や竹が伸び放題になっていた。もはや雑木林で、とても山道と呼べるものではない。その状態を見た時、このままでは町が廃れていくのではないかと感じた。

このような日々を送る中で三島さんは、寺が所有する「山」を活用して町の「見どころ」にできないかと考えた。近年では「低山登山」がブームとなりつつある。標高300メートル台の黒坂要害山は「低山登山」にうってつけだ。

黒坂要害山は、泉龍寺のほか2つの寺などが所有する私有地となっている。2つの寺にも相談したところ「地域のためになるのなら」と、快く「山」の開拓を了承してくれた。2023年春、まずは山道造りに取り掛かった。

黒坂要害山の山道造りをする三島秀典さん
黒坂要害山の山道造りをする三島秀典さん

普段は三島さん1人で開拓を進めるが、地域の人も協力を惜しまない。大きな木を切る場合はチェンソーを使わなくてはならない。この時は林業経験のある住民が協力してくれる。

山道の整備は徐々に進んできた。山の中腹にはバス停を模した看板や、休憩用のベンチを設置した。

黒坂要害山の頂上は現在、木が視界をさえぎって完全には下界を見通すことができない。今後は、この木を伐採して頂上に「見晴らし台」を作る予定だ。完成したら毎年5月ごろに、山頂に鯉のぼりを設置することも予定している。

2024年11月10日には「鳥取県緑化推進委員会助成事業」を活用して、桜の木を植樹した。植樹作業には地域の人たちがボランティアで参加した。木は山の中腹など10か所に植えた。2年から3年で花が咲くと見込んでいる。10年後には登山道に沿って桜並木ができるように計画している。

地域の人と黒坂要害山に桜の植樹を行う三島秀典さん(バケツを持っているのが三島さん)=2024年11月10日

桜以外に「もみじ」も植えた。春は桜、秋は紅葉、5月は「鯉のぼり」など、季節を感じる山にしたいと様々な工夫を凝らす。

あちこちに点在していた山椒(さんしょう)の木も一か所に集めて山椒畑にした。いずれは、山椒やタケノコなど、山で採れた山菜を振る舞うイベントも開催したい。

黒坂要害山は「黒坂要害城跡」とも呼ばれ、かつて城があったと伝えられている。近隣にある他の城跡や、他の山などを巡る周遊コースも考えているところだ。

山を訪れた客の土産になるようにと登頂記念印も制作した。「龍泉寺」「黒坂要害山」日野町の公式キャラクター「しいたん」を活用したオリジナル品だ。

三島秀典さんが制作した登頂記念印①
三島秀典さんが制作した登頂記念印①
三島秀典さんが制作した登頂記念印②
三島秀典さんが制作した登頂記念印②
登頂記念印①と②を重ねると完成(①と②は別売)
①と②を重ねると完成(①と②は別売)

三島さんは開拓を始めてすぐ、SNSで「黒坂要害山開拓チャンネル」というアカウントを開設した。このチャンネルで開拓の様子を日々公開している。

黒坂要害山の眼下にはJR伯備線がある。JR伯備線では、特急「やくも」の新型車両が今年4月に運行を開始した。「やくも」が見られることを同チャンネルで知った鉄道ファンが、山を訪れて「やくも」の写真を自分のSNSに投稿した。これが鉄道ファンの間で話題となっている。今後、鉄道ファンが黒坂要害山を訪れることが見込まれる。

映画が好きだという三島さん。「将来は黒坂要害山が映画のロケ地になるといい」と夢を語る。来年の初夏ごろまでには、山頂の「見晴らし台」を完成させたいと意気込んでいる。

黒坂要害山開拓チャンネルより(映像提供:三島秀典さん)(オリジナリティを尊重の上、三島さんの承諾を得て山陰プレスで若干の編集を行っています)