
「おとうさん、サーフィンがんばってね。ぜったい、ゆうしょうしてね」
遠征先にいる父に送られてきた動画は、幼い息子からの応援メッセージだった。プロのサーファーをめざす父の職業は、漁師だ。父は国体で準優勝をした経歴を持つ。
サーフィンで準優勝したのではない。「武術太極拳(ぶじゅつたいきょくけん)」で日本の2位になったのだ。父がサーフィンを始めたのは32歳のときだった。
国民体育大会(現在の国民スポーツ大会)の種目に「武術太極拳」がある。武術太極拳は中国武術としての太極拳を、競技スポーツとして実施する種目だ。カンフーの演武のような種目と考えると分かりやすい。
島根県在住の勝部竜海(かつべ・たつみ)さんは2019年、国体の「武術太極拳」で準優勝した。
勝部さんが武術太極拳を始めたのは18歳の時だ。ジャッキー・チェンの作品を中心に、アクション映画をよく観ていた。
映画の影響で、カンフーやアクションに興味を持った。近くの公民館で、スポーツとしてのカンフーを教える教室があることを知り、すぐに通い始めた。
最初の型や基礎は、カンフー教室で教わることができた。技術が向上するにつれ、「自選難度競技(じせんなんどきょうぎ)」という、難易度の高い競技に挑戦したくなった。
自選難度競技とは既定の型を競うものではない。競技者が、自分でオリジナルの型を一から作って演武する種目だ。競技武術の中では、いちばんレベルが高い。回転数や着地動作などで、高度な技を求められる。
勝部さんが武術太極拳をはじめたころ、島根県では指導者の中にも「自選難度競技」の経験者がいなかった。
動画配信サイトを見て学び、月に1回程度、大阪へ遠征することで技術を高めていった。遠征に行って学んだことを島根に持ち帰り、自分で練習や研究をした。
本場の中国へ学びに行くこともあった。不完全な状態であっても、まずは試合に出場することで、実戦を通じて少しずつ習得していった。

島根は武術太極拳の練習環境に恵まれているとはいえない。大会と同じコートで練習できる機会が少ない。難度の高い技や着地動作に関しては練習が難しかった。
大会ではカーペットのような、専用の絨毯の上で競技をする。普段の練習は板張りの床で行わなくてはならない。
棍や槍といった柄の長い武器を使う練習では、武器や床を傷つけてしまう恐れがある。試合と同じ想定で練習することは難しい。
跳躍をして、そのまま着地の動作を行うことがある。例えば空中で1回転から2回転して、開脚の状態で着地をする技だ。股関節を痛める可能性が高く、板張りの床では、かなり危険だ。
大会のコートでは絨毯がクッションの役割を果たすので、危険な技でも挑戦しやすい。板の床で練習をすると、ケガをするリスクが高まる。絨毯で練習できるときと比べて、板の床は恐怖心や安全性など、いろいろな面でかなりの差がある。
勝部さんは、畳の上で練習するなど工夫した。ふだんの練習ではイメージトレーニングにとどめ、事実上、ぶっつけ本番に近い形で大会に臨むことも多かった。
大会ではコートの広さが決まっている。コートの使い方も点数に関わってくる。コートの使い方を想定した練習ができないこともハンディキャップだった。
勝部さんが国体に出場したとき、自選難度競技の部門はなかった。自選難度競技であっても規定の型であっても基礎は同じだ。同じ技もあれば、同じ難度の動作もある。型の組み合わせが違うだけで、競技としては似ているといってよい。
従来からある型を競う部門に、勝部さんは出場した。「長拳B/第一国際規定套路(ちょうけんびー/だいいちこくさいきていとうろ)」という型だ。
勝部さんはみごと準優勝を果たした。29歳のときだった。既定の型は指導者に教わりながらも、独学と創意工夫を積み重ね、11年かけて日本の2位に上りつめたのだ。

1位になれなかった悔しさが残る。最後にミスをしてしまい、満足のいく演武ではなかったことが大きい。
勝部さんは準優勝を振り返る。
「国体で準優勝したとき、9割が悔しさで1割が安心みたいな感じでしたね。悔しさが大きかったこともあり、うれしいというよりも安心したような感覚でした。島根の代表として国体という大きな舞台で成績を収める事ができたので、応援してくださる方々や、地元に少しでも貢献できたかと思うと安心できました」
いま勝部さんは、漁師の仕事をやりながらプロのサーファーをめざしている。武術太極拳で日本の2位まで上りつめながら、なぜサーフィンなのか。
漁師をやりながらプロのサーファーをめざす裏には、愛する家族との知られざる絆があった。
(後編につづく)
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