
岡山県の倉敷天文台は1926年に開設された。2026年は倉敷天文台が開設されて100周年にあたる。倉敷天文台は日本で最初の公開天文台だ。公開天文台とは一般の人でも利用できる天文台のことだ。専門家でなくても利用できる。2026年は「公開天文台100周年」の年でもある。
本田実(ほんだ・みのる)さんは倉敷天文台にゆかりが深い。鳥取県出身で世界的なアマチュア天文家だ。本田さんは1913年(大正2年)に鳥取県八東町(現在の八頭町)で生まれた。尋常小学校を卒業したあとは、独学で天文を学んだ。学者らとの縁やチャンスをつかみ、20代前半で鳥取を出て天文の道に進んだ。
まもなく軍に召集されたが、戦地でも観測を続けた。日本に戻ると、妻の実家である広島県福山市から、倉敷天文台の敷地内へ家族で引っ越した。倉敷天文台を拠点として数々の彗星を発見した。アマチュアでありながら、世界的に有名な天文家となっていった。戦後の暗く沈んだ日本人を励ますような大活躍だった。
2026年は本田さんが倉敷天文台に着任して85年目の年でもある。

輝かしい活躍の陰には、自責の念もあった。故郷の鳥取に両親と妹を残して天文の道に進んだからだ。学歴がないゆえの悔しいおもいもしてきた。大好きな観測でさえ、決してのんびりしたものではなかった。
いつ現れるかわからない星を、ひとりで待ち続けるのは並大抵の忍耐ではない。自分が発見した星が、すでに他の人が見つけたものではないか、と常に気を抜けない。星を発見すればするほど、緊張感とプレッシャーが強くなる日々だった。
本田さんは、いろいろな思いを胸の奥底にしまいながら、真摯に空と向き合った。無数の星が毎回違った姿をあらわし、たった一人の自分を迎え入れてくれる。ひたすら星に尋ねて教えてもらうだけ。本田さんは、次第にこのような気持ちで星と対峙していくようになっていった。
後に本田さんは、倉敷天文台の山の上にある観測場を「星尋山荘(せいじんさんそう)」と名づけた。観測を終えるといつも赤い横笛を吹いた。鳥取の伝統的な祭りで使われる笛だ。吹き終わると、笛と故郷への想いをそっと置いた、と本田さんは詩にあらわしている。

本田さんの自宅だった建物は、いまも倉敷天文台の敷地内にある。建物は現在、カフェになっている。カフェにある書籍は本田さん所有のものだった。中には何冊か、本田さんの「ひとこと」が書かれているものがある。
2026年、日本公開天文台協会では特設サイトが設けられ、さまざまな企画が予定されている。倉敷市内の「倉敷科学センター」では、2026年3月21日に、公開天文台100周年に関連したイベントがある。「本田実物語」と題して、本田さんの生涯を扱った画像鑑賞会が予定されている。
(※ 本田さんの正式な氏名表記は「本田實」です。本人を含めて「本田実」と表記することが多かったことから、この記事では「実」の表記を使用しています)
