今年2024年は島根県松江市ゆかりの文豪、小泉八雲の没後120年にあたる。代表的な著書「怪談(Kwaidan)」が出版されて120年でもある。「怪談」は八雲が死去する直前の1904年4月に、アメリカで出版された。日本各地に伝わる伝承などを基にした短編集だ。幽霊や妖怪、神話にまつわる物語が収められている。「耳なし芳一」や「雪女」などは特に有名だ。
八雲が書いた「耳なし芳一」に曲をつけ、20年近く演じ続ける人物が東京都内にいる。琵琶奏者の櫻井亜木子さんだ。
櫻井さんは東京音楽大学卒業。日本琵琶楽コンクールで優勝するなど、様々な賞を受賞している。日本を代表する琵琶奏者だ。2014年度には文化庁文化交流使に任命され、72日間で7ヵ国15都市にて演奏を行った。
小椋佳さんや氷川きよしさん、GACKT(ガクト)さんなど有名歌手との共演も多数ある。祖母が松江市出身で、子どものころ母に連れられて年に1度は松江を訪れていた。夫の父も同市出身で松江市とのゆかりが深い。
櫻井さんが「耳なし芳一」を初めて演じたのは2007年8月のことだ。栃木県日光市湯西川温泉(ゆにしがわおんせん)にある、旅館の主人から相談を受けて演奏することを考えた。「耳なし芳一」は盲目の琵琶法師、芳一の物語だ。
物語の中で芳一は、源平最後の合戦「壇ノ浦の戦い」を琵琶演奏に合わせて熱心に語っていた。語りがあまりにも素晴らしかったため、平家落ち武者の霊が芳一にとりついた。湯西川温泉には源平の合戦で敗れた平家の落人伝説がある。こういった関係から同温泉で演奏することになった。
櫻井さんは、子供の頃から「耳なし芳一」の物語を昔話としては知っていた。深く興味をもったのは、自分が琵琶演奏を生業としたからだ。芳一は琵琶法師として、自分と同じ楽器を携えていた。
櫻井さんは、「耳なし芳一」を演じ始める前から「平家物語」を題材とした演目を演じてきている。「平家物語」は平家の栄枯盛衰を描いた軍記物語だ。芳一は櫻井さんにとって自分自身と重なる存在だったのだ。
櫻井さんは「耳なし芳一」を演じ始めた動機を次のように語る。
「元々、琵琶法師の持つ琵琶は法具であり、経の伴奏楽器として使われていました。鎮魂の役割を持つ楽器でもあります。この世に現存する人間ではなく、死後の世界にある霊魂に近い楽器です。現世と来世を行き来しそうになった芳一に近づくことで、琵琶の持つ本来の魅力を探りたい自分がいたのかもしれません」
「耳なし芳一」を演じているうちに、自分も霊に取りつかれそうになることがあるという櫻井さん。取りつかれる寸前まで物語の世界に入り込む。芳一を演じるときは、般若心経の数珠を身につけて公演に臨む。
会場には「赤間神宮のお神酒」と「清めの塩」を置いている。赤間神宮は壇ノ浦の戦いで敗れて入水し、崩御(注1)した幼帝、安徳天皇が祀られている神宮だ。「耳なし芳一」は赤間神宮の前身「阿弥陀寺」が舞台となっている。
櫻井さんは松江城が国宝になる前、天守閣で「耳なし芳一」を演じている。2012年にはニューヨークで演奏した。エルサルバドルやブラジルのサンパウロでも公演を行った。
小泉八雲はギリシアのレフカダ島で生まれている。櫻井さんは今年7月にギリシアを訪れた。この時、レフカダ島で「耳なし芳一」を演奏しようと模索したが実現していない。今回のギリシア訪問で、いつかレフカダ島に行って演じたいという強い夢を抱いた。実現しなかったがゆえに、どうしてもやりたいという想いが募った。
今月9月26日に八雲は没後120年を迎える。櫻井さんはレフカダ島での「耳なし芳一」公演を実現すべく、八雲の墓前に決意報告をする。
1904年9月26日に死去した小泉八雲は、東京都豊島区の雑司ヶ谷霊園(ぞうしがやれいえん)に眠っている。
(注1:崩御(ほうぎょ)=天皇が亡くなること)