
〈鳥取で見つけた自分〉
今、私はアメリカの大学に通いながら棒高跳びをしています。「出身はどこですか」と聞かれると、私は迷わず「鳥取です」と答えます。
鳥取は、生まれ育った場所ではありません。それでも、私にとって鳥取は間違いなく故郷だと思っています。
私が鳥取に住むことになったのは15歳のときでした。オーストラリアから日本へ移住し、環境が大きく変わりました。当時やっていた男女混合野球や女子野球も、日本では続けられなくなりました。
友達とも、はなればなれになり、学校の授業は、慣れていた英語からすべて日本語になりました。オーストラリアの大学へ進学する予定もなくなり、将来の進路や学校生活に不安ばかりを感じていました。
自分が何者なのか分からなくなり、学校に行くことがつらくて、逃げ出したい気持ちにもなりました。
そんな中で出会ったのが、高校の陸上部です。最初は槍投げや円盤投げ、ハンマー投げにも挑戦しましたが、どれもしっくりきません。先輩に誘われて始めたのが棒高跳びでした。
何の競技かもよく分かりませんでしたが、不思議と「これを頑張ってみよう」と思えたのです。何かに向かって全力で打ち込めるものができたことが、当時の私には何より大きかったです。
棒高跳びを通して、恩師の中原先生をはじめ、本気で向き合ってくれる多くの人に出会いました。家族のように支えてくれる存在ができ、鳥取に居場所ができました。鳥取で3年間を過ごす中で、私は少しずつ「自分」を見つけ始めたのです。

鳥取の自然も、私の心を支えてくれました。山や海、川や滝、夕焼けや広い空。練習後に仲間と自転車で滝を見に行ったこともあります。自然に囲まれると、不思議と心が落ち着きます。
私は、自然から学べることはたくさんあると信じています。例えば、大きな木を見て、ここまで成長するのにどれだけの時間がかかったのだろうと考えることがあります。自分も少しずつ成長していけばいい、毎日少しずつ前に進めばいいと思えます。
倒れている木や、わずかな隙間から差し込む光にも美しさを感じます。一見、暗くてさみしく見える状況にも、必ず美しさや良いところはあるのだと、自然が教えてくれました。
当時は気づきませんでしたが、振り返ってみると、鳥取での経験が今の私をつくり上げていることが分かります。何もなかった自分が、前を向いて歩き出せた場所。それが鳥取です。
だから私は胸を張って言います。「鳥取出身です」と。
【棒高跳び選手 坂口ジャスミン紫苑】
○ 坂口ジャスミン紫苑 ○
棒高跳び選手。2021年6月の中国高校総体では大会新記録で優勝。2022年に出場した「日本選手権U20」では、自己ベストの記録で4位に入賞している。鳥取県の倉吉北高校卒業後はアメリカ・カンザス州にある短期大学「クラウド・カウンティ・コミュニティ・カレッジ」に進学。短大の全米大会で優勝し、ルイジアナ大学ラファイエット校にスカウトされて編入。現在(2026年)、アメリカで日本代表をめざす。ニュージーランド生まれ。



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