
遊歩道の起源は第二次世界大戦にさかのぼる。
1941年、ドイツ・イタリア・ハンガリーによって、現在のスロベニアは分割占領された。リュブリャナ(当時はリュブリャナ州)は、イタリアの支配下に置かれた。
1942年、リュブリャナの周囲に、有刺鉄線と監視拠点からなる封鎖線をイタリア軍が築いた。
リュブリャナは、レジスタンス(解放戦線)の重要な活動拠点だった。各地の抵抗勢力と市内との連絡を断つため、イタリア軍は都市そのものを包囲したのである。
チトー率いるパルチザンによって、1945年5月9日に解放されるまで包囲は続いた。チトーは後にユーゴスラビアの初代大統領になった人物だ。パルチザンは山岳地帯で抵抗活動を行う武装集団だった。
解放後に包囲線は撤去されたが、歴史的痕跡として整備され、現在の遊歩道となった。
スロベニアの首都リュブリャナ市は、人口30万人ほどのコンパクトな都市だ。およそ33キロにわたる環状の遊歩道が外周を囲む。
遊歩道は「Pot spominov in tovarištva(ポト・スポミノウ・イン・トヴァリシュタヴァ=記憶と連帯の道)」と呼ばれている。「グリーン・リング」ともいう。砂利敷きの小道だ。
夏はジョギングやサイクリング、冬はノルディックスキーのコースとして、市民に親しまれている。
毎年5月の初旬、この遊歩道で市民参加型のウォーキングイベントが行われる。
イベントの名は「Pot ob žici(ポト・オブ・ジチ)」だ。日本語に訳すと「有刺鉄線沿いの道」という意味になろうか。
4万5千人以上が参加するイベントだ。未就学児から大人まで、参加者の年齢層はさまざまだ。
イベントのコースには、8か所のチェックポイントが設置される。チェックポイントで、参加者はチェックスタンプを受け取る。全行程を完歩した参加者には、賞が与えられる。
1回完歩すると銅メダルがもらえる。5回完歩すると銀メダル。10回完歩すると金メダルだ。
友人たちに誘われて私も参加した。歩き始めると、ここが単なる緑の遊歩道ではないことに、少しずつ気づかされていく。
イベントの楽しい雰囲気とは裏腹に……。
(後編につづく)
【スロベニア在住 島田茜子】

○ 島田茜子(しまだ・あかね)○
南山大学哲学科卒業。ハンガリーやニューヨークなど、異なる文化や言語環境での生活を10年以上継続してきた。チェロを演奏し、保育園や学校では音楽企画を行う。日本文化のワークショップや日本語ボランティアなど活動は多岐に渡る。夢は小説家になること。スロベニア在住。
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