島根出身メジャー歌手 音楽研究家との二刀流

SiriuS  大田翔さん(左)と田中俊太郎さん(右)

バリトン歌手の田中俊太郎さんが多彩な活躍を見せている。田中さんは島根県出身で出雲観光大使を務める。

田中さんは2008年3月に東京芸術大学音楽学部声楽科を卒業し、大学院にも進学した。大学院では博士(音楽)の学位を取得した。学業のかたわら在学中からプロの歌手として活動。ソリストとして活動した後、2020年2月に声楽ユニット「SiriuS(シリウス)」として日本コロムビアからメジャーデビューした。

テノールの大田翔さんと共にデビューアルバム「MY FAVORITE THINGS」をリリース。これは声楽の特徴を活かして、有名なミュージカル曲や映画音楽をアレンジしたアルバムとなっている。博士の学位を取得した者がプロの歌手としてメジャーデビューした例はあまりないという。2018年3月まで学生だったこともあり当時35歳と遅咲きのメジャーデビューだった。

2020年12月にはセカンドアルバム「星めぐりの歌」を発売。中島みゆきさんの「地上の星」や1970年代の大ヒット曲、ゴダイゴの「銀河鉄道999(スリーナイン)」などをアレンジした。「星めぐりの歌」ではSiriuSのオリジナル曲「Grace-愛はここに」も発表した。田中さんはこの年、NHKの連続テレビ小説「エール」にオペラ歌手役で出演している。現在、SiriuSとして活動すると同時にソリストとしても活躍している。

ソリストとして歌う田中俊太郎さん

田中さんには、もうひとつの顔がある。音楽研究家としての顔だ。専門は「日本の歌曲」。特に1930年代の歌曲に詳しい。博士学位取得の際は「三菱地所賞」という賞を授与されている。博士課程を修了した学生の中から優秀な者に贈られる賞である。大学院卒業後も演奏活動にいかすために音楽の研究を続けてきた。近年は「日本歌曲の歴史」をテーマとした講演も行っている。プロのメジャー歌手と音楽研究家の二刀流はこの世界では非常に珍しいケースだという。

田中さんは3月10日に東京都中央区の第一生命ホールで行われる「東京オラトリエンコール第30回演奏会」に出演する。コンサートでは「マタイ受難曲」が演奏される。これを作曲したのはヨハン・ゼバスティアン・バッハである。バッハは「音楽の父」とも称されるほど有名な音楽家だ。

田中さんによるとバッハは元々、有名な作曲家ではなかったという。「マタイ受難曲」はバッハの生前、世の中から注目される曲ではなかった。この曲に光を当てたのはメンデルスゾーンだ。メンデルスゾーンは結婚式の定番曲として有名な「結婚行進曲」を作曲した音楽家として知られる。彼は無名だったバッハの「マタイ受難曲」を復活演奏の形で世に出すこととなった。「マタイ受難曲」はメンデルスゾーンが自ら演奏するために、埋もれた曲の中から掘り起こしてきたものなのだという。

田中さんは「研究とは知られざる価値に光を当てること。自分もメンデルスゾーンのように(知られざる)日本の歌曲を発掘して世に広めたい」と語る。そして「過去の日本には西洋音楽を自分たちの手にしようと熱く音楽に没頭した人たちが存在した。彼らの熱意を今の私たちの希望に変えられるような活動をしていきたい。」とも。

今後について聞くと「演奏と研究は活動の両輪。研究の成果を演奏活動にも、いかしていきたい」と抱負を述べた。

SiriuSは2024年中にニューアルバムのレコーディングをする予定だ。