
(前編よりつづく)
スロベニアの首都リュブリャナを囲む遊歩道の起源は、第二次世界大戦にまでさかのぼる。
当時、スロベニアは分割占領されていた。リュブリャナを統治したイタリア軍は、周囲に有刺鉄線と監視拠点からなる包囲線を築いた。チトー率いるパルチザンによってリュブリャナは解放された。
解放後に包囲線は撤去されたが、歴史的痕跡として整備され、現在の遊歩道となった。
毎年5月、この遊歩道でウォーキングイベントが開催される。
イベントの目的は、一連の歴史を記憶し、継承することにある。そこには追悼式のような厳粛な空気はない。
タイムを競うランナーもいれば、ハイキング気分の家族連れ、スタンプラリーを楽しむ子どもたち……。
まるで、市民健康イベントのような雰囲気だ。
まず至る所で目に入るのが、八角形をした棒状の記念碑だ。鉄条網のモチーフが刻まれている。
「有刺鉄線や監視塔があった場所に建てられている。全部で102基ある」と友人が説明してくれた。

「あれがバンカー跡。イタリア軍が、シェルター兼監視拠点として使っていたんだ」
友人が指したのは、異様なコンクリートの塊だった。敵を射撃するためにつくられた数個の穴が並んでいる。分厚い壁の奥から外をうかがうように。
さらに進むと、グラモズナ・ヤマという採石場跡にたどり着く。静かな森に囲まれたその場所では、第二次世界大戦中にイタリア占領軍による処刑や報復行為が行われていた。
「静けさそのものが重いね」と私たちは語り合った。
ひとつひとつのモニュメントも印象的だ。たとえば市内の幹線道路と旧包囲線が交差する地点には、大型の石碑がある。
行き来が制限されていた事実を、視覚的に思い出させる。
ゴロヴェッツ丘に入ると、小さな記念標が不規則に現れる。木々の奥にある。よく見ないと気づかない。監視の目が届きにくい森の奥が、パルチザンとレジスタンスとの連絡拠点だったことを示している。
どれも“観光的に整えられた戦争遺産”という感じはしない。普段の散歩道や生活道路のすぐ隣に、剥き出しで置かれている「記録」という印象だ。

ルドニク地区の白樺並木で、多くの参加者が休憩を取っていた。かつて人を閉じ込めていた境界線の跡に、今では7千本以上の木々が植えられ、緑の回廊へと変わっている。
この並木は市による緑地化事業として整備され、市民の協力を得ながら植えられていったものだ。
「また来年も歩こうね」「楽しかったね」「健康に乾杯!」
ゴール地点ではビール片手に人々が笑い合う。
歩き切った達成感というよりは、ただ1日をみんなで共有した心地よさが残る。
リュブリャナの5月。スロベニアに暮らす人々にとって、この道を歩くことは特別なイベントというわけではない。毎年の習慣だ。家族や友人と参加し、歩き、少し飲んで笑って帰る。
抵抗運動と解放の歴史は、スロベニアの誇りとして受け継がれている。そしてそれは「もう二度と鉄の境界をつくらない」という、平和への願いとして結び直されている。
【スロベニア在住 島田茜子】


○ 島田茜子(しまだ・あかね)○
南山大学哲学科卒業。ハンガリーやニューヨークなど、異なる文化や言語環境での生活を10年以上継続してきた。チェロを演奏し、保育園や学校では音楽企画を行う。日本文化のワークショップや日本語ボランティアなど活動は多岐に渡る。夢は小説家になること。スロベニア在住。
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